平成25年初冬の広野町駅の周辺は、一見、平成23年4月にリポートした状況とあまり変化が感じられなかった。駅前の商店街は閑散とし、通行人の姿も見当たらない。異なった点と言ったら、駅前の信用金庫が営業を再開し、当時商店街の外れに置かれていた進入禁止の看板が撤去されていたぐらいだろうか。
駅前広場にはタクシーが2台、所在無さそうに客待ちをしていた。やはり、人影はない。常磐線は、まだ全線開通していていない。現在は広野町が終着で以北は開通しておらず、いわき・水戸方面に1時間に1本の間隔で運行している。広野町駅が終点で折り返し運転中だ。
ちょうど列車が発車するところだった。女性の車掌が身をのりだし、それほど多くはない乗客の安全を確認し、ドアを閉めた。列車が発車し、一時の喧騒が去り再び静けさが戻る。
電車が占めていた空間がポッカリと空くと、歩線橋を渡った向こう側プラットホームの五つ並んだ青い椅子の先に、津波被害地の荒涼とした景色が現れた。さらにその先、防風林の先には青黒い海が広がっている。何一つない荒れ地の広がり具合からすれば、津波はちょうど駅の向こう側まで押し寄せたに違いない。
jR常磐線は、広野町を縦割りするように走っている。線路は高さ6m程土盛りをした上を走っている。線路をはさんで海側と陸側では全く光景が異なる。海側は津波で破壊尽くされているが陸側は何事もなかったように家々が建ち並んでいる。線路の脇に立ってみると常磐線が防潮堤の役割を担ったということが歴然とわかる。これは地元の人達も口々に言っていることだ。(い&さく&し・続く)