福島原発事故とこれからの生活を考えるblog

by原発事故被害者支援司法書士団 team of shihosyoshi to support compensation for nuclear accident victims         

福島第一原発の事故で失ったものは何でしょうか?
様々なものが失われました。
失われたものを取り戻すために、何をすべきなのでしょうか。

2017年12月

大玉村仮設住宅の6年(終)

6.これからの選択肢
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6.
これからの選択肢
 仮設住宅の暮らしはどうなっているのだろうか。
 現在(平成29年6月)、大玉村の仮設住宅はA棟、B棟、E棟、F棟の4棟が建てられている。暮らしているのは10世帯のみ。1棟に 1名しか住んでいないところもある 。
 仮設住宅に継続して住み続けているのは、「他地域の復興住宅完成まち」「移動するのが面倒」「帰還待ち」等が主な理由だ
 幸いと言うべきか、復興住宅は、仮設住宅の隣接地に建設された。それゆえ、仮設住宅でも、自治会ないしコミュニティは、ある程度維持されている。
 鎌田前自治会長は以前のインタビューで、「復興住宅に住む人も仮設に残る人もひとつの自治会でやっていく、今後も以前と同じに活動を続けていく。大玉村との関係も見守り隊も黄色い旗も続けていく。」とお話になっていたが、その方針は現自治会長にも引き継がれ維持されているので、仮設に継続して入居されている方と復興住宅に移った人達との交流も、しばらくは以前と同じように出来るかも知れない。
独居の高齢者のための仮設住宅の見回りや無事を知らせる黄色い旗は仮設住宅、復興住宅、共に継続中だ。しかし、それも来年(平成30年)で終了する予定だという。
 買い物及び病院を利用するためのバスサービスも継続中で、週に二日往復3便が運行されている。以前は、買物バスは週四日4便だった。しかし、実際に病院に通う人達にとって、バスは不便のようだ。運行便数が少ない上に、行きはよいが帰りは診察がいつ終わるかわからないのでバスで帰れないかもしれないからだ。
 仮設住宅の隣地に開設されていた診療所は4月で終了した。現状では保健士もほとんど回ってくることはないという。復興住宅も仮設住宅も、高齢で一人暮らしの人が多い。医療インフラは住民が健康で暮らすための重要なファクターだ。それが住民の減少に比例して、ますます貧弱になりつつある。

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仮設住宅の入居期限は平成30年3月末が予定されている。
「避難指示が解除された地区だけでなく帰宅困難区域からの避難者も出て行って欲しいと町から言われています。中には引越しを嫌がっている人もいます。引越しを拒否しても、強制退去まではしないと思いますが。」と富岡さん(仮名)は、仮設住宅入居者の先行きを見通す。
 入居期限が延長される可能性がないわけではない。しかし、今後たとえ入居期限が延長されたとしても仮設住宅には何時までも住めるわけではない。いずれ出なければならないのだ。
 鎌田前自治会長は、「取り越し苦労かもしれないが、先行きを考えると様々な問題が起こる様な気がする。」と先行きを心配していたが、それが現実になろうとしている。

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今後の選択肢を住人の方たちはどう考えているのだろうか。
 これからの行く末に対する考えは、仮設に入居している人たちも、復興住宅に入居している人たちも、一様ではなく様々であろうことは想像に難くない。避難指示が解除されたら帰還する思いの強い人もいれば、移住して別のところに家を建てるまでの仮の住まいと考えている人もいるかもしれないし、他の家族の生活計画が決まるまでの、とりあえずの住いと考えているかも知れない。
大玉村の復興住宅入居者は、富岡さん(仮名)の言葉によれば、現実には、終の棲家と考えている人が多いようだ。
 「復興公営住宅では、富岡に帰りたいとの声はほとんど聞こえてきません。富岡町に帰りたい人はほとんどいないと思います。このままここに住み続ける人が多いと思います。
 高齢者は老い先短い。更にまた他の地に移動するのは困難です。
 新たな住宅建設を考えている人もいると思うが、借家に住んでいた人は精神的損害の賠償金と年金のみ、資金がありません。仮に、富岡町に新築しても10~15年経つと高齢化が進行し、将来住む人がいない事態になってしまう。」 
仮設住宅の入居者の減少および復興住宅への移動に伴う様々な問題は、大玉村に限った事柄ではなく避難指示が次々と解除される中、福島県全域で起こっている。
 当初計画されていた地域コミュニティの維持は、歯の抜けたような仮設住宅の住環境のもとでは困難な状況だ。行政も仮設住宅に住み続けている避難者に対しては、退去を優先しているようにも見える。
 年齢の比較的若い人たちは比較的決断が早い。今後の生活に対する決断を先延ばしにしながら最後に残るのは、老齢者等のもっとも弱い人である可能性が強い。もの言わぬ沈黙の人をこれからどう支援していくかは大きな課題だ。
 こうした状況下で、今もそうだが、孤立や・自殺が今後ますます増えるのではないかと危惧される。 
 仮設住宅から復興住宅という住環境の変化は、高齢・独居・孤立等の問題解決の糸口にはなっても深刻な状況が解決されるにはそれだけでは不十分だ。
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大玉村仮設住宅で5年余の生活を共に過ごして来た人たちが、それぞれの道を歩み始めている。しかし、どの道を選択したにしろ、するにしろ、原発被害前の生活を取り戻すことは非常に困難だ。東電第一原発の事故により住民の平穏で安定した生活が破壊された状態は、現在も将来に向かっても、新たな平穏で安定した環境が構築されるまでずっと維持されたまま時が進む。
 被害者の苦悩は続かざるを得ないのだろうか。
                (いしかわ&さくらい)

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大玉村仮設住宅の6年(5)

5.復興住宅(災害公営住宅)の完成
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5.復興住宅(災害公営住宅)の完成
平成28年1月、木造平屋建て211戸、木造2階建て38戸の計59戸の復興公営住宅が完成した。住民意向調査時から希望者が少し減り、3区画59戸に変更された。
 「大玉村営横堀平団地」復興公営住宅は、大玉村に代わり福島県が整備したもので、民間事業者に設計及び建設させその住宅を買い取る「福島県買取型復興公営住宅」として初めて完成したものだ。(復興庁HP参考)
 復興住宅の敷地面積は70坪、建坪は22から22坪、すべて戸建て形式で木造平家建が3LDKと2LDK、2階建が3LDKの三種類だ。2LDKは一人暮らし用。集会場は1つ造られた。3区画の建物がそれぞれ色や感じが違うのは請け負った業者が異なるからだそうだ。
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現在(平成29年6月)大玉村の復興住宅には59世帯102名の入居者が暮らしている。復興住宅の入居者の生活状況はどうなっているのだろうか。我々は、完成した復興公営住宅で暮らす富岡さん(仮名)に、復興住宅の現状を伺う機会を得た。
富岡さん(仮名)は、富岡町で生まれ富岡町で育った。成人した後は、東電関係の会社に就職し、約15年間第一原発で仕事をしていた。
生まれた時から原発がある。私にとって原発は当たり前の存在でしたよ。」
 今のところ、古郷の富岡町には帰る予定は、富岡さん(仮名)自身にはないそうだ。何故帰らないのかという我々の問に対しては、次のような答えが返ってきた。
 「帰らない理由の一つは、放射能汚染です。(被災地で)放射線の管理が適切にされているとは思えません。爆発により放射能は拡散し空気中にばらまかれています。拡散した放射線ガンマ線は回収することはできません。除染は実施されているが、住居地域のみで、自然界での除染は聞いたことはない。自然に線量は低くなるかゼロにはならない。(ばらまかれたす汚染物質を)全てを撤去するのが除染だと思う。こうした環境のところには帰りたくありません。」
 しかし、家族は異なる思いを持っているという。「母は帰りたいと言っています。墓が自宅の200メートル先にあるんですよ。」と複雑な胸の内を打ち明けた。家族でも帰還に対する考えは一つではない。個々個人がそれぞれの思いを持ち、それぞれがその複雑な解を探している。
 就業が困難な事情も理由に上げた。
 「勤労世帯は帰れない。仕事がない。」「(東電関係の企業に就職するなど)東電の事後処理などの仕事に被災者が手を助けるとは思えません。」
 他に基本的なインフラである病院や学校、生活に最低限必要な商品を扱う店舗などの未整備も帰還の障害となっていることも明らかだ。
富岡さん(仮名)に、完成した復興公営住宅の暮らしについても伺った。
「入居者は59世帯、2階建に60人、平家建に40人合計約100人が居住しています。入居者の六割が高齢の一人住まい。仕事をしている人は少ない(10人程度)です。年齢は65歳以上がほとんどで75歳以上の方も多い、50歳未満は5世帯程度しかいません。子供の数も少なく小中学校合わせて10人くらいでしょう。
復興公営住宅は、将来、大玉村の村営住宅にする予定で大玉村が8分の1費用を負担しました。だから、丁寧につくってある。残りの8分の7はほぼ全部国で負担するようです。」 
「自治会の活動は月2、3回サロンでのお茶会のほかは、恒常的な日常活動はありません。8月に夏祭り、12月の餅つき、正月行事など年数回集会があります。隣組はありません。もともと、富岡町での知り合いはほとんどいません。」「 (入居者の孤立を心配する向きもあるが、)私は、住民同士、妙に親切にしなくても良いのではないだろうかと思います。孤独(死)は自宅でも病院でも仮設住宅でも同じことです。家族離散は家族の責任でもある。同居しようと思えば同居できないことはない。厄介払いの側面も考えられる。千差万別です。」
「賠償金請求の話は住民同士ではほとんどしません。賠償金が支払われたことで一時的に生活が贅沢になった人が、(支払が終わった後)元に戻れるのかどうか心配だ。(各地で集団訴訟をやっているが)富岡町は集団訴訟をやっていない。首長の判断でしょう。集団訴訟によって賠償金が増加されることは考えられません。」
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                (いしかわ&さくらい)

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大玉村仮設住宅の6年(4)

4.復興住宅(正式には災害公営住宅)の建設計画

4.復興住宅(正式には災害公営住宅)の建設計画
-仮設住宅自治会が主導した復興住宅の建設- 
平成28年1月27日、復興公営住宅「大玉村営横堀平団地」竣工式が、同団地集会所で関係者約50名が出席して行われた。(復興庁HP
 復興住宅建設計画から完成まで、自治会はどう関わってきたのか、復興住宅建設計画の実現に至るまでの経緯を振り返ってみる。 

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○応急仮設住宅の入居期限と復興住宅
 応急仮設住宅の入居期限は、当初2年間とされていた。しかし、復興状況の遅れを踏まえて、平成27年3月末まで延長された。同時に、民間賃貸住宅を使った「みなし仮設」の入居期限も同様に延長された。更に平成27年4月以降は、入居期限を代替的な住宅の確保などの状況を踏まえて適切に対応するとし、再延長がされ現在に至っている。
 応急仮設住宅の入居期間の延長、再延長は、被災者の住宅確保という意味では、意義深い。しかし、被災者の方の心と体が、長期の仮設の暮らしに耐えられるのだろうか、応急仮設住宅の耐久性は十分だろうかといった疑問に対して、入居期間を延長するのみでは答えとはならないことは明らかだった。
 ひとつの解決手段として復興住宅(正式には災害公営住宅)建設の早期実現は不可欠だった。被災者の方が、「もっと恒常的な住まいが欲しい。もっと快適な居住空間がほしい」と願うのは率直な要求であり、その要望に答えるのが国・県・自治体の役割でもあった。 
 平成25年に仮設住宅の自治会は、隣接地に自分たちが住む復興住宅を建設したいという住民の意向を国、福島県、富岡町に提出している。
 「富岡町大玉村出張所だより」4月号では、3月30日に開催された同自治会の総会の模様を伝えている。その記事では、鎌田自治会長が「仮設住宅の住民の一部から、大玉村内に復興住宅を建設して欲しいという声があり、根本復興大臣に、大玉村に災害復興住宅建設の要望書を提出した」との報告が写真とともに載せられている。

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○復興住宅建設のための住民意向調査
 自治会では、復興住宅建設のために住民の意向調査を記名式で2回行っている。
 一回目は25年3月に、二回目は5月に意向調査を実施した。「大玉村に建設する復興住宅に住む希望」があるかという問いには、83戸(約100回答)が希望し、17戸は住まない意向を示した。どちらの調査も回答率は50%で、約半分の仮設住宅の入居世帯から回答はなかった。
 富岡町でも、自治会の調査の後、8月に住民意向調査を実施している。その調査結果では約60世帯の住民が復興住宅に入居したい旨の意向を示した。
 その結果、83戸が記名で入居の意向を示したのだから、復興住宅はその数を基準にして欲しい旨の自治会の申し入れにも関わらず、建設計画では65世帯分の建設予定となった。
 その後、大玉村は、平成25年10月21日に開いた村議会で、26年度中の着工・完成を目標に災害公営住宅の整備を進めていくことを決定した。
 建築形態は、県の案では集合住宅が主であったが、自治会の要望により、平屋建、2階建て、2戸1棟型(メゾネット方式)と変更された。
 こうした経緯を経て、自治会の要望は実現へと向かっていった。


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鎌田自治会長には、心残りがある。それは、住民の約50%が意向調査に未回答だったことだ。
 鎌田会長は、「回答のない残りの50%約100世帯の人たちが、これからどうするのか心配だ。大玉村に復興住宅が出来て、住民の一部が移り住んだ後、仮設に住み続けている人達は将来に向かってどう決断するのだろうか。行政はちゃんとフォローしてくれるのだろうか。」「すでに、他の復興住宅に入居を希望するなど明確な方針を持っている方もいるかもしれないし、まだ、先のことを考えられない方も、たくさんいらっしゃるかもしれない。とにかく、50%の人達が意志を表明されないので、今何を思っているのか全くわからない。取り越し苦労かもしれないが、先行きを考えると様々な問題が起こる様な気がする。」と先行きを心配していた。
未回答が50%あったことをどう考えたらいいのだろうか。50%もの人が意向を示したというのは、自治会の活発な活動の成果とみることもできる。
 しかし、仮設入居者の半数が回答なしであることに少なからずショックを受ける。何故回答がないのか、それとも回答できないのか、2年半(当時)もの過酷な仮設住宅生活が原因で精神的に疲れて果てているのか、家族や仕事、お金や賠償問題など様々なことが絡み合って、まだ決められないのだろうか、実相は最も近くにいるはずの鎌田自治会長にも見えていなかった。
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