福島原発事故とこれからの生活を考えるblog

by原発事故被害者支援司法書士団 team of shihosyoshi to support compensation for nuclear accident victims         

福島第一原発の事故で失ったものは何でしょうか?
様々なものが失われました。
失われたものを取り戻すために、何をすべきなのでしょうか。

写真集(被災地、仮設住宅ほか)

ビデオをユーチープに公開

ビデオをユーチープに公開しました。是非、ご覧ください

「司法書士は、なせ゛?」=原発事故被害者支援を振り返る←検索してください

群馬県と兵庫県を中心とする司法書士が、東日本大震災と福島原発事故の被災者・被害者に対して行なった支援活動を振り返る。司法書士が支援活動を始めた動機や意図、目指したものを明らかにするとともに、その活動の限界や達成できなかった目標を振り返り、将来に向けた教訓とするための記録ビデオ。

原発事故被害者支援司法書士団


2021年3月当時の大野駅

 大野駅 撮影2021年3月 

大野駅 2021年3月当時、電車も動いており、この周辺には立ち入れた。
CIMG3331

駅周辺 立ち入り禁止の立て札、これも今は撤去されたのか。
CIMG3337


駅の連絡路から見た風景。  
CIMG3336

時刻表
CIMG3332





写真で見る福島2021・郡山市富田町

写真で見る福島2021・郡山市富田町
 
郡山市富田町若宮前応急仮設住宅
 富田町若宮前応急仮設住宅は、東北自動車道の郡山インターを降り、東に向かい磐越線郡山富田駅の近くにあった。
 大規模な仮設住宅で、設置戸数507戸、富岡町の人が411人、川内村が264人、双葉町が91人、計676人(平成26年4月現在)が暮らしていた。
私たちが訪れたのは取り壊し工事の終わり頃。広い空き地が広がり、工事の砂煙が立っている。
多くの人が暮らしていた形跡は跡形もない。
 国も福島県も、仮設住宅を震災と原発事故の後生への遺産として積極的に保存するつもりはないようだ。
CIMG3096
 富田町若宮前応急仮設住宅の撤去工事の様子。
CIMG3097

CIMG3098
 工事の様子。ほぼ取り壊され、最後の工事に取掛かっている
CIMG3109
 集められたタンクか。
CIMG3105
 近くの高台に奥羽大学の校舎か見える。

以前のレポート
群馬司法書士新聞2011/10/10
 応急仮設住宅巡回訪問ルポ 
『一番の望みは「ふるさと」に戻ることだ。いつ戻れるかはっきりさせて欲しい。』
 入居者の方々の言葉が胸をつく
 
9月に入ったというのに、今なお、灼熱の夏の日が地上に降り注いでいた。
「あの山の向こうに福島第一原発がある。」我々の仲間の一人が指さした。
爽やかに晴れた空を見上げ、視線を遠く阿武隈高地の連なりに移すと、指さされた先の山 際に入道雲が湧き出ているのが見えた。

 巡回・訪問した目的・地域  平成23年9月10、11日の2日間、群馬司法書士会は、応急仮設住宅入居者の皆様に、群馬 司法書士会が収集した震災に関連する情報をお伝えすること、及び、今後の活動のための情 報収集を目的として、福島県下に建設されている応急仮設住宅約2600世帯を巡回・訪問した。
今回、訪問・巡回したのは、福島県の「中通り」と呼ばれる地域とその周辺、須賀川市、 郡山市、田村市及び三春町の各市町村である。福島原発からは約40~70キロメートルの距離 に位置している。
「中通り」は、西の奥羽山脈、東の阿武隈高地に挟まれた。南北に細長い盆地である。中 央には阿武隈川が流れ、東北自動車道が貫いている。  
訪問・巡回した応急仮設住宅には、現在、福島第二原発の所在地である富岡町、同町に隣 接する川内村、福島第一原発の所在地である双葉町、浪江町の西に位置する葛尾村に住居地 がある方々が入居されている。どの町村も、警戒区域、緊急時避難準備区域及び計画的避難 区域のいずれかに指定されている(一部指定地域を含む)。
 応急仮設住宅  具体的レポートの前に、応急仮設住宅の概要を記しておく。
応急仮設住宅とは、災害救助法に基づき、一時的な居住の安定を図る目的で建設される住 居である。災害救助法に基づく災害救助基準(平成20年4月1日現在)は以下のとおりである。
 ・規格:1戸当たり29.7㎡(9坪)を基準  
・建設費1戸238.7万円(ただし50 戸以上を集団で設置する場合は例外) 
・設置期間は原則2年 
(建設は都道府県、用地確保や管理は市町村、家賃は無料だが、水や光熱費は居住者負担)
 実際の費用・設備は、浪江町HPに掲載された募集案内が参考となる。「浪江町応急仮設住宅の募集案内」から、抜粋した住宅の概要は以下のとおりである。
・家 賃…福島県が負担
・光熱水費、共益費、修繕費…入居者負担 
・入居の期間…原則1年間(ただし、入居者の生活再建の状況により、さらに1年間延長することができる)  
・間取り…1人~2人用:1DK(6坪タイプ)、2人~4人用:2DK(9坪タイプ)  4人~6人用:3K(12坪タイプ)
 ※大家族など、家族の人数によっては、2戸にわかれる場合があります。
・駐 場…1台に限る 
・設備等…風呂、洗濯機、炊飯器、照明器具、トイレ(洋式)、冷蔵庫、電子レンジ、ガスコンロ、エアコン、テレビ、電気ポット、カーテン                 (浪江町HPより) 
 
 福島県では、仮設住宅群は500戸を超える大規模なものから、15戸程度の小規模のものま で多様な住宅群が避難地に建設されている。 
最初に訪れた、郡山市富田町の仮設住宅群は、およそ500戸。加えて、住宅用地の一角で は、今なお建設の槌音が響いていた。
 幸いにも、我々は巡回・訪問している途中で出会った自治会長さんのご好意で住宅内に立 ち入る機会を得た。
 外の暑さにもかかわらず、室内はエアコンが効き快適な状態が保たれていた。
 間取りは9坪タイプのワンルーム。床には 明るいグレーのカーペットが敷き詰められて いる。上記の家電が整然と配置され、一見す ると日常生活には十分な環境が整えられてい るように見える。隣家の物音も殆ど聞こえな いそうだ。 
しかし、詳細に観察すると、壁紙を止めた ホチキスや、天井板を止めた釘がむき出しの ままの状態で放置されている等、所詮「仮」 の住居でしかないことがわかる。福島の冬は 寒いそうだ。寒さに対する対応は十分だろう か。心配である。
 自治会長さんの奥様に勧められた冷たい麦 茶をいただいて、束の間の休息を取った後、 外に出ると、ボランティアの炊き出しに遭遇 した。 
 強い日差しの中、各入居者が手に手に鍋を持ち、三々五々、集会場に向かっている。今日 の炊き出しは豚汁だそうだ。
 仮設住宅の一角では、入居者が数人、談笑していた。傍らの植木鉢には、ブーゲンビリア に似た花が植えられている。燃えるような赤い花びらがモノトーンの仮設住宅の風景の中で、 際立って艶めかしい。一見、情報も先入観も持たずに、垣間見れば、ここでは穏やかなコミ ュニティー環境が醸成されつつあるように見える。しかし、そう簡単にことが運んでいると は思われない。問題が山積しているのだ。
 以下では、我々が巡回・訪問した応急仮設住宅の調査報告から、幾つかの事例を取り上げ て、現在の仮設住宅で起こっている問題をレポートしてみたい。  
 富田町の仮設住宅を巡回し資料を配布していると、親子連れの30代の男性に会った。我々 は巡回の趣旨を伝え、持参した「群馬司法書士新聞」を手渡した。
会話中、東電の賠償金の問題に話が及ぶと、男性の表情が険しくなり、我々を見つめる眼 差しが鋭さを増した。
 「金などいらない。一番の望みはふるさとに戻ること。」
 「いつ戻れるかはっきりさせてほしい。」
 父親の脚を遊具替わりして戯れていた連れの幼児が、突然、クックッと笑った。父親の目 元が一瞬穏やかになる。しばらく幼児の相手をしていた父親は、再び我々に向直り、厳しい 口調で言った。
 「以前の生活に戻れればそれだけでいい。」 

まず最優先で考えなければならない根っこの問題はそこだ。
 東京電力および政府は未だに、今後の帰宅の見通しを明確にはさせていない。今後の状況 によっては、入居期間が大幅に伸びる可能性もある。
 災害救助法では応急仮設住宅への入居は、2年を限度としているが、実際には被災地の復 興状況により延長される場合が多い。例えば、新潟県中越大震災では3年、雲仙・普賢岳噴 火災害では4年半、阪神・淡路大震災では5年もの間入居が継続した。
  原発問題及び復興計画の見通しが立たなければ、入居が長期化する可能性も否定できない。 最も根源的な問題を、補償問題にすり替えてはいけないのだ。 

翌日、我々は山間の丘陵地帯に点在する仮設住宅を巡回・訪問した。
ある中規模の仮設住宅群を訪問した我々は、住宅の一角で、金盥で洗いものしている60代 の女性に出会った。
我々が声をかけると、洗い物の手を休めて気さくに応対をしてくれた。富岡町から避難し ているという。 
震災直後、郡山市の避難所ビックパレットに入所した後、数カ所の避難所を転々として、 現在の仮設住宅に入所したそうだ。
 「ここには同じ町内の人たちが入所している。でも、同じ町民同士でも、全く知らない人ば かり。いろんなことを話したいのに話し相手がいない。他人と話す機会がない。」 
「必要かどうか分からないが、領収書は保存している。コインランドリーの料金なんかでも 請求していいのでしょうか。」と、不安そうに言った。
 我々がお礼を言って立ち去ろうとすると「話をするのが嬉しい。本当は、いろんなことを、 もっともっと話がしたい。」と、我々の手を握った。 心なしか涙ぐんでいるように見えた。

 情報不足を口にする入居者もいる。
 農業を営んでいたという70代の男性は、我々に、とにかく正確な情報がほしいと訴えた。 
「町からここに入れと言われたから、ここに来た。以来、全く情報がない。」
 「これからいつまでここに居られるかもわからない。」
 阪神・淡路大震災においては、高齢者と障害者だけの、孤独死の問題が指摘され、その反 省をもとに今回の大震災では、コミュニティーの維持・社会的なネットワーク構築の重要性 が説かれた。 
我々の巡回した仮設住宅では、それらの問題に対する配慮も見られた。しかし、そうした 配慮にもかかわらず、コミュニティーが十分に維持されているとは言い難く、社会的なネッ トワークも、十分に機能しているとは思えない。 
ネットワークの欠如に起因する情報不足は孤立の一原因ともなる。適切な情報は入居者の 生活維持に不可欠なのだ。 高齢者・一人暮らし 巡回していると、高齢の入居者が多いのに気づく。高齢者が一人で入居しているケースも 見受けられた。

環境の変化による体調の悪さを訴える入所者がいた。
 仮設住宅に来るまでは毎日農作業をやっていたという80歳代の女性は、「ここに来て動く ことが少なくなったので、手足の節々が痛くなって来た。毎日さすっているが痛みはおさま らない。」と訴えた。 
山間の丘陵地帯にへばりつくように建てられた仮設住宅に、一人暮らしをしている90歳の 女性もいる。
入口から、我々が声をかけると、暫く間をおいて、部屋の奥から姿を見せてくれた。膝が 痛いので満足に歩くこともできないそうだ。 
買い物は?と尋ねると、「一人ではできない。隣の人にたのんでいる」と答えてくれた。 
我々が訪問の趣旨を説明しようとすると、それを遮っていった。
 「難しいことはわからないから考えない。目も弱くなって活字も読めない。だからそれ(配 布資料)もいらない。気楽に生きている。」
 入口に、50センチ四方の段ボールがあるのが目に入った。我々の目線に気がついたのだろ うか、「そこ(入口のステップ部分)に時々出て、これに座っている。」と説明してくれた。 
誰に聞かせるでもなく、独居入所者は「気楽が一番」と、もう一度呟いた。

仮設は仮設でしかない。
 仮設はあくまで「仮」の住まい以上ではない。入居されている方の最大の望みは「通常の 生活に戻ること」ではないだろうか。しかし、それを実現するにはあまりにも課題が多い。 
 様々な問題が放置され、様々な新たな問題が持ち上がってきている。
 *********************** 
この新聞が発行される頃、今回、巡回・訪問した地方は、すでに秋真っ盛りだろう。
 愛犬が可哀想だと犬小屋を作っていた区長さん、犬小屋は出来上がりましたでしょうか。
 手足の節々が痛いと手をさすりながら応対していただいた川内村から来たという高齢の入 居者の方、痛みは和らいだでしょうか。
 90歳、一人暮らしの女性の方、秋風の中、段ボールに座り、「気楽」に日々をお過ごしで しょうか。お風邪を召されないように。

遠く群馬の空の下で、気を揉んでいます。皆さんお元気で。
また伺います。               


ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

 

写真で見る福島2021・狐田応急仮設住宅跡地

写真で見る福島2021・狐田応急仮設住宅跡地

狐田応急仮設住宅は、郡山から田村市に向かう道路、郡山大越線(県道57号)沿い、三春町の「さくら湖」の北の山中にあった。
狐田親水公園の一部を使い建てられ、戸数55戸・入居者数115名で(平成25年当時)、葛尾村から避難していた人々が住んでいた。
ここを訪れたのは、3回。避難していた人が住んでいたとき、人はおらず取り壊しを待っているとき、今回である。

取り壊し前の仮設住宅

IMG_2804

IMG_2796

取り壊し後の跡地
CIMG3123

CIMG3113
狐田応急仮設住宅は道路から下った低地にある、公園の一部に建てられた。

跡地の場所がわからず周辺を車に乗りながら探した。、跡地に着いてもどこにどう建っていたかは、すぐには思い出せなかった。
 避難していた人たちが7、8年暮らしていた痕跡はあとかたもなかった。
CIMG3124
 跡地のすぐ近くを小さな川が流れている。
CIMG3114
 道路の反対に狐田稲荷神社がある。



ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

写真で見る福島2021・田村市の聖火リレー

写真で見る福島2021・田村市の聖火リレー
 
 3月27日、田村市で、東京オリンピックの聖火リレーが行われた。

 東京オリンピックの開催は、福島復興のシンボルであり、聖火リレーもその行事の一環である。
リレーの沿道にはかなりの人が出ていて賑やかだった。しかし、リレー区間はコロナのためもあるのか短く、警備は何かが起こることをひどく警戒しているようで、厳重であった。

 この催しは、復興の光の部分が強調されているが、その陰で多くの人がまだ避難していることを思うと、違和感とともに素直に祝い喜ぶ気持ちにはなれなかった。
CIMG3191
 聖火リレーのポスター
CIMG3192
 聖火リレーを待つ人たち。立旗が立ち、人々は手旗を持っている。
CIMG3210
 公共放送局も来て大型のカメラを構えて待っている。
 CIMG3219
 聖火を持って走る人。写真では見えないが、走者の左右に三人ずつ警備の人が並走していた。
CIMG3224

CIMG3225
 警備はかなり厳重で観客は道の片側に寄せられ、一定間隔で警官が立っている。反対側に渡って写真を撮ろうとしたら、咎められた。最後尾には警察の警備車(デモのときよく見かける)が付いてきていた。


ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

 

写真で見る福島2021・大熊町

写真で見る福島2021・大熊町
 
2018年4月24日現在の大熊町の状況
現在、大熊町は原子力災害により、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに分けられています。

令和3年4月1日現在の大熊町の居住状況・避難状況
住民登録者数   4,781世帯 10,212人
居住状況・避難状況
 内訳   県内 3,602世帯 7,840人
      県外 1,179世帯 2,372人
 町内居住者数   273世帯 316人
 町内居住推計人口 ※町に住民登録がない居住者を含めた推計人数  907人
       (大熊町HPによる)
CIMG3331
 大野駅(大熊町)の改札入口。駅は無人である。駅までの道路と駅は立ち入りができるが、その周辺は出来ない。
大熊町は、大野村と熊町村が合併してできた。駅名はその以前の名がそのまま使われている。
CIMG3337
 駅広場のすぐ隣に「この先帰還困難区域につき通行止め」の看板が立っている。 

CIMG3336
 駅内通路から双葉駅仙台方向を見る。

CIMG3338
 駅広場近くの民家。一部壊れたまま放置されている。

CIMG3340
 大熊町生活循環バス。一時帰宅する人が利用者の中心であろうか。

CIMG3341
 バスの時刻表。途中5か所に寄り、富岡駅に行く。

CIMG3339
 町の施設だろうか。建物に「線量計を貸します」とある。中には人がいるようだ。
双葉駅にはこのような施設はなかったと思う。やはり線量が高いのか。


以前のレポート
群馬司法書士新聞2012/02/10

梨の花咲く町から
群馬司法書士会が実施する仮設住宅訪問は今回で3回目となる。
今回は会津若松市の応急仮設住宅(以下仮設住宅と記す)、主に大熊町の方々が避難されている仮設住宅群を訪ねた。
大熊町は、第一原発の所在地として知られている町だ。行政区分では、双葉町、富岡町等の市町村と接し、東は太平洋と接する。
東日本大震災後、東電原子力発電所の事故により、町全体が立入り不可の地域となったため、住人全員が他市町村に避難している。
町役場も、その機能を移転せざるを得なくなり、現在、会津若松市栄町の会津若松市役所追手町第二庁舎に仮役場を開設し、その機能を移している。
大熊町は、阿武隈山系の山と雄大な太平洋に囲まれた自然豊かな町だ。フルーツ、特に梨の産地として名高い。梨の花は、町の花として定められている。「フルーツの香り漂うロマンの里 おおくま」は、町のキャッフレーズだ。
梨の栽培は、大正時代から本格的に始まったそうだ。その当時に植えられた梨の木が今も実を付けるという。樹齢は100年にもなる。
梨畑は、町役場の近隣に集中している。
梨畑の一番きれいな季節は春だ。桜が散ると、やがて梨の花がその可憐な白い花を咲かせ、高台から見ると、梨畑一面に咲く可憐な梨の花は、まるで雪景色のようだという。後記の商店主の奥さんは、「本当に綺麗よ。」と力を込めて、その情景を我々に語った。  
その故郷に、今は帰りたくても帰れない。
果樹園を営んでいたという避難者は、一時帰宅の折に見た梨畑を次のように表現した。
「草もぼうぼう。枝もぼうぼう。」
誰も手入れをしない田畑や果樹園は、自然の営みが勝手気ままに振る舞う。雑草がはびこり、昆虫がその棲家とする。
梨畑を元の状態に戻すには、仮に帰宅がかなったとしても容易ではない。前記の果樹園主は、再生の過程を次のように語った。
「今ある木はダメだ。もう使えない。全て切り倒し、根も全て掘り起こし、撤去しなければならない。その上で再び整地し、新しい木を植える。木が成長し収穫出来るようになるには、それから10年かかる。」
「俺の代では、無理だろう。」
梨畑は、第1原発から数kmの地域に集中している。帰宅が最も困難な地域と考えていいだろう。新しい木を植えることが出来るのはいつの日のことだろうか。その日は、現時点では限りなく遠い。
他の耕地も同様の状況だ。
仮設住宅の通路で軽自動車を洗車していた70歳代の男性に会った。自宅は第一原発の煙突が間近に見えるところにあるという。
洗車していた手を休めて、「稲作を中心とした農業をしてい
た。米の銘柄は、コシヒカリ、一毛作なので冬の間は殆ど休み」と、大地震前の、生業を語ってくれた。
「今の様子は?」との質問に対しては、
「田や畑は身の丈ほどの雑草が生えている。以前の田畑の面影はない。」
「牛や豚が好き勝手にうろついている」と、一時帰宅した折の状況を教えてくれた。
同じく農業をしていたという方に、他の仮設住宅でも会った。第1原発から3kmほどの地域に住んでいたという60歳代の男性は、「この先どうなるのか、どこに行くのか、全くわからない。」「自宅や田畑は、買い上げ、借り上げが現実的。」と、先の見通しを述べ、
「(原子炉を)廃炉するのに40年かかるというから、帰宅できるのは、30年40年先だろう。」
「俺は、100を軽く超えてしまう。」と、白い歯を見せた。
稲作は、大熊町農業の中心だ。水稲の作付面積は約600ヘクタールにも及ぶ。その豊かな水田が東電の原発事故により排出された放射能で汚染されてしまった。農業の再生の条件は汚染物質が取り除かれることが前提であるが、それだけではない。放棄された農地の再生は、長い時間を費やす根気のいる仕事であるという。また、帰宅までに、長い時間を要すれば、担い手である耕作者の高齢化も深刻な問題となるだろう。



ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

 

写真で見る福島2021・双葉町

写真で見る福島2021・双葉町
 
双葉町の人口、世帯数
2021年2月28日現在
人口5,760人  世帯数2,211
令和3年2月28日現在の避難状況は次のとおりです。
 なお、この避難状況は、平成23年3月11日現在の人口から、死亡者を除き、震災以降の転出者及び転入者、出生者を含むものであり、現在、町として支援対象となる人口の避難状況を表しています。
福島県内に避難されている方 4,017人
福島県外に避難されている方 2,777人
         ( 双葉町HP )

 双葉町は平成25年5月警戒区域が解除され(避難指示は継続のまま)、主要道路の通過通行、住民の一時的帰宅ができるようになっていたが、さらに令和2年3月4日に双葉駅周辺等の一部区域について、避難区域から解除された。
CIMG3266
 双葉駅 令和2年3月14日常磐線が全面再開した。その一年後である。
CIMG3270
プラットホームの表示。上り方面は「大野駅」(大熊町)下り方面は「浪江駅」
CIMG3295
双葉駅の乗車証明書。駅は無人で、プラットホームまでは自由に出入りできた。乗車する人はこの証明書(自動発行機)で降車駅で料金を支払う。
CIMG3287
プラットホームから浪江駅仙台方向を見る
CIMG3265
 駅から出るシャトルバス。伝承館行きとなっている。

以前のリポート
2014.1.10 群馬司法書士新聞
「何でここで寝てるんだろう」
双葉町からの移住を決断したCさんに聞く


「原発事故が起こるまでは、双葉町で息子夫婦と同居し、毎日、孫の顔を見ながら、平穏に暮らしていました。双葉町は、海が近いから、夏も涼しいし、冬も寒くないし、気候も穏やかで、魚も美味しいし、とてもいいところです。だけど、原発事故で避難しなくちゃならなくなって、群馬県で暮らしていた弟を頼って夫婦で避難しました。息子夫婦は新潟県に避難したので、それまで当たり前のように毎日見ていた孫の顔も見られません。
 国や県は、いつか帰還できるというふうに言うけれども、自分はもう家には帰れないと思ったんで、すぐに群馬県で家を探しはじめて、その年の暮れには、中古住宅を購入しました。自分はもう仕事をリタイアしていたこともあるでしょうが、県外に避難した中では、早くに帰らない、移住するということを決めたほうかもしれませんね。
 だんだんと群馬県での生活にも慣れてきて、今は、夫婦水入らずで、あちこちに出かけては趣味のスケッチに没頭する生活をしています。
 でもね、夜、布団に入りながら、ふと思うことがあるんです。
「ここどこだ?
オレ、何でここで寝てるんだろう?
 オレの家はここじゃねえんだよな」って。
やっぱり、ふるさとが一番なんですよね。
 双葉町にいたときは同居していた息子は、避難先の新潟県で仕事を見つけました。これからも息子たちは、新潟県で暮らしていくんだと思います。だから、もう、息子たちと一緒に住むことはできないでしょうね。孫の顔もたまにしか見れないし、寂しいですよ。」


ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

 

写真で見る福島2020・飯舘村

写真で見る福島2020・飯舘村

R3.3.1現在の飯館村の居住者の状況は次のとおりです。
県外避難者  195名   113世帯
県内避難者 3525名  1360世帯
村内居住者 1481名   770世帯  
   R3.3.1現在 飯館村HP
約3割の方が帰村して暮らしています。
ちなみに、飯館村の避難区域の変遷は以下のとおりです。
避難指示解除準備区域(平成29年3月31日解除)
居住制限区域(平成29年3月31日解除) 
帰還困難区域(村内一部)
飯館村役場CIMG2999
写真1 飯館村役場 立派な建物で、原発以前からこの村が豊かな村であったことを示している
飯館村文化祭2CIMG2995

飯館村文化祭CIMG2993
写真2、3 飯館村の文化祭 大勢の人が集まり活況でした。
飯舘村交流センターふれ愛館CIMG3003
写真4 飯館村文化交流センター まだ建築後新しい
いいたての希望飯館村学校
写真5 中小一貫校である「いいたて希望の里学園」の校舎。新築の校舎がまぶしい。
飯館村風景
写真6 高台から飯館村の風景。新しい建物が目立つ。国が進める復興の象徴なのか。


以前のリポート
2017年11月24日 原発被災地ルポ
「川辺の復興住宅=飯館村」
 霊山から飯館村に向かう。村に入る手前の谷に、大規模なフレコンパック置き場が作られていた。置き場の入り口の空間線量計は0.45マイクロシーベルトを表示している。持参した線量計を道ばたの草の上に置くと、数値は8マイクロシーベルトまで上がった。

IMG_0056
 飯館村大谷地の以前は村営住宅があった場所に「大谷地団地」が新たに作られた。一部二階建て一棟4戸の復興住宅が4棟、16世帯分の団地だ。穏やかな木造の建物は、周囲の景色になじんでいる。建物の周囲には砂利がしかれ、時雨に濡れた道のアスファルトが雲間から射す午後の陽光を照り返していた。細い川を挟んだ対岸には、大谷地の古い家並が並んでいる。

IMG_0059
 「猪の親子が並んで通ったよ」
 7月まで大野台の仮設にいたという男性が言った。
 「狐の鳴き声も聞こえる。しかし、猪も狐も、人が戻ってきたの知って、段々出なくなってきたな」
復興住宅は仮設とは比べものにならぬほど快適だが、住環境は不便だという。週に二度、移動販売の車が来るくらいで、日常生活に必要な品物を買う場所もない。
 「道の駅に行ってコーヒーを飲むくらいが楽しみだな」と言った。
 子どもたちは福島の方で暮らしているという。
 「そっちにある家は大概取り壊すんだよ」
 向こう岸の家並を見ながら男性が言った。
 「6年も7年も締め切りなんだ。外見はそうでもなくとも、実際は相当痛んでいる。住めるようにするまでどれだけ金がかかるか。直したところでいつ戻れるか。そんなことを考えたら、壊すしかないな」
IMG_0062

 大谷地の集落はいつ頃できたのだろうか。集落の北にある綿津美神社の創建は1200年前だというから、相当の歴史を経てきた場所に違いない。川に沿って建てられた家々を眺めながら、谷間に農地を開き、川と街道が交わる場所で営まれてきた歴史を思い、原発事故が危機に陥らせているのだということを実感した。
             

ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

写真でみる福島2020・広野町

写真でみる福島2020 令和2年10月

写真1 広野駅 昼のせいか人影はない。
広野駅

写真2 広野駅の近くの新築のテナントビル テナント募集の旗がゆれる
 
広野駅CIMG2930

写真3 広野駅の時刻表 本数は少ない。
広野駅時刻表

写真4 広野の復興住宅1 戸建住宅はほとんど人が住んでいる。

no title

写真5 広野の復興住宅2 集合住宅 空き家が目立つ
広野町復興住宅の今2 (2)

以前のリポート

平成23年4月のリポート

久之浜漁港で初めて、津波による被害を目の当たりにした。6号線の東、浜側の建物は、壊れた倉庫を除いてなくなり、自動車や漁船や、瓦礫が浜側に寄せ集められている。港にはだれもいない。

--------------------------------------------------久ノ浜


平成25年12月

常磐自動車道のいわき四倉インターチェンジから東に245号線を進むと、いわき市久之浜町に出る。久之浜地区はいわき市の北,広野町に達する手前に位置する。久之浜も津波被害地だ。国道を境に海側の地域が被害にあった。




(写真 245号線跨線橋から久ノ浜を望む。手前は常磐線、沿って走る6号線。中央岩肌の見える山の下が大久川の河口となっている。2013年12月15日撮影)



その一角に災害公営住宅が建設中だ。建設地復興住宅1ひは、国道6号線を北上した右手にある。完成予想図が工事現場の入口付近に掲げられている。工事は基礎工事の段階だが急ピッチで進んでいる。建設計画では、共同住宅は鉄筋コンクリート造り2棟で、8階建64戸と7階建56戸の合計120戸で、2LDK60戸、3LDK60戸が予定されている。 戸建は16戸〔下記意向調査は18戸となっている〕で2LDK8戸、 3LDK8戸。153㎡の平家の集会場もある。建築費用は、町が8分の1、国が8分の7を負担する。入居者の募集は昨年10月22日に開始され、12月24日で締め切られた。いわき市が、平成24年3月13日から15日に行った入居意向調査では、震災で家を失った対象世帯はいわき市全体で6367世帯、そのうち入居希望世帯は1634世帯であった。久之浜地区の入居希望者は定数120に対し107で倍率は0.89倍だが、そのうち戸建の希望者は定数18に対し希望31であった。


(写真 災害公営住宅地の擁壁が前方に見える。大久川中央に傾いた橋桁が残っている。この川を競り上がった津波が岸辺の家と橋を流し去った。2013年12月15日撮影)  

平成25年初冬の広野町駅の周辺は、一見、平成23年4月にリポートした状況とあまり変化が感じられなかった。駅前の商店街は閑散とし、通行人の姿も見当たらない。異なった点と言ったら、駅前の信用金庫が営業を再開し、当時商店街の外れに置かれていた進入禁止の看板が撤去されていたぐらいだろうか。

広




駅前広場にはタクシーが2台、所在無さそうに客待ちをしていた。やはり、人影はない。常磐線は、まだ全線開通していていない。現在は広野町が終着で以北は開通しておらず、いわき・水戸方面に1時間に1本の間隔で運行している。広野町駅が終点で折り返し運転中だ。


広2




ちょうど列車が発車するところだった。女性の車掌が身をのりだし、それほど多くはない乗客の安全を確認し、ドアを閉めた。列車が発車し、一時の喧騒が去り再び静けさが戻る。

広2
電車が占めていた空間がポッカリと空くと、歩線橋を渡った向こう側プラットホームの五つ並んだ青い椅子の先に、津波被害地の荒涼とした景色が現れた。さらにその先、防風林の先には青黒い海が広がっている。何一つない荒れ地の広がり具合からすれば、津波はちょうど駅の向こう側まで押し寄せたに違いない。

jR常磐線は、広野町を縦割りするように走っている。線路は高さ6m程土盛りをした上を走っている。線路をはさんで海側と陸側では全く光景が異なる。海側は津波で破壊尽くされているが陸側は何事もなかったように家々が建ち並んでいる。線路の脇に立ってみると常磐線が防潮堤の役割を担ったということが歴然とわかる。これは地元の人達も口々に言っていることだ。
                                                                                                                  




 


ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

 

福島仮設住宅の記憶

YouTube 第3弾「福島仮設住宅の記憶」をアップロードしました。
URLは下記のとおりです。
https://youtu.be/YEQ_NdFJCiY

福島県内に作られた仮設住宅は16769戸。
2012年1月の入居者数は3万人を超えた。
その多くが、原発事故によって避難を余儀なくされた人々だ。
仮設住宅は、公園や広場、運動場、工業団地の空き区画などに作られた。

温暖な浜通りで暮らしていた人々は、
まったく違った環境に移された。

会津松長近隣公園仮設住宅団地。
市内でも最大の249戸の規模だった。
雪深い会津の冬は、避難者にとって初めての経験ばかりだった。
会津盆地を見下ろす高台に造られた住宅街を通り過ぎた一番奥に、団地はある。
雪の少ない浜通りからやってきた避難者たちが慣れない雪かきをしていた。
「皆でやるので、顔見知りにもなるし、話をするきっかけができる」
と意外な効用を話してくれた。
屋根はフラット構造のため、積もった雪は自然落下しない。
「溶けるのを待つしかないさ」住民はあきらめ顔で語っていた。
集会所では唄が披露され、集まった仮設住宅に住む人々は故郷を偲んだ。
曲名は「ふるさと浪江」。
団地を巡回して、避難されている住民に聞いてもらっているという。

あれから8年余り。
今も仮設住宅に住む人々は174人となった
(福島県災害対策本部調べ。2019年8月31日現在)。
2020年3月31日には、大熊と双葉からの入居者を除き、すべての仮設が閉鎖される。
仮設の取り壊しは進んでおり、今も残っている仮設住宅も、近々取り壊される。

会津市内、松長近隣公園の仮設住宅団地の現在(2019年7月27日)。
仮設住宅は7月末の強い日差しに炙られていた。
35度を超える気温にやっと耐えているような住宅団地は、ひと気が全くない。
広大な駐車場にぽつんと停まっている一台の車と、空き缶や空き瓶が置かれたゴミ集積場が、
居住者の存在を示しているだけだ。
6月の新聞記事によれば、ここにはまだ五人の居住者が残っているのだという。
住宅の間を歩いても、人の姿を見ることはなかった。
どんな人々が、どんな事情でこの団地に住み続けているのだろうか。

安達太良応急仮設住宅団地は、
主に富岡町の被災者用として平成23年9月に648戸の規模で完成した。
実際の入居者はピーク時で250世帯460人だったという。
入居者が想定より少なかったのは、故郷から遠いこと、浜通りとは気候や風土が違うことなどが理由として考えられる。
2019年6月、安達太良応急仮設住宅団地は半分壊され、半分残っていた。
現在の仮設住宅は物置がわりに使われているが、居住者はいない。
かつて住んでいた人の大部分は、大玉村を離れている。
旧仮設住宅の東側に、復興住宅52戸が建っている。
入居者の多くが仮設に住んでいた人々だ。

3万人の原発事故避難者が暮らした仮設住宅は、
やがてすべて取り壊され、歴史の彼方へ消えてゆく。
ここで暮らした人々の記憶もまた、
消え去ってゆくのだろうか。

原発事故で失ったもの

 原発事故で失ったもの 

原発事故で失ったものは、なんでしょう。
想像してみてください。
あなたとわたしの故郷が汚染され、やむなく避難せざるをえない無念の思いを。
そのとき、あなたとわたしは何を失ったと感じるのでしょう。
家族はテンデンバラバラ、仕事も失い、親戚のおじさん・近所のおばさん・同級生とも会えなくなりました。
日々買い物をしたお店ももうありません。
たんぼや畑で作物をつくることもできません。
見慣れた山、遊んだ川や公園にも行けません。

思い出してください。原発が爆発したときのことを。

あなたとわたしは、家族とどこに逃げようか、真剣に考えたのではありませんか。東京ですか、名古屋ですか、九州ですか、それとも外国ですか。

大阪にアパートを借りようか。京都にいる親戚は、博多にいる親友は、わたしと家族を受け入れてくれるのだろうか。いや、少しくらいの放射線ならこのままここで家族と暮らしていこうか。
そんな決断を迫られたのではないですか。

そしてもう一度、
避難している人、帰還した人の、
「起こった事」や「今とこれから」を想像してみてください、思い出してみてください。

原発事故で避難している人々のことは、
明日のあなたやわたしとその家族のことです。


YouTube 第2弾「原発事故で失ったもの」をアップロードしました。
https://www.youtube.com/watch?v=54KkYQynLbU


2019・夏 富岡町、大熊町の現状

2019・夏 富岡町、大熊町
富岡町では、至るところにソーラーパネルが設置されてるのが目に付きました。以前には見かけなかった風景です。
農地の有効利用には効果的な方法かもしれません。

大熊町に入りました 。

IMG_0131

IMG_0129

IMG_0125


IMG_0155
IMG_0153
IMG_0138

以前と殆ど変わっていません。
IMG_0136

草むらからイノシシが現れて草むらに消えていきました。
人を恐れる様子もありませんでした。
帰宅困難区域である大熊町は猪の天下のようです。
IMG_0133

県立大野病院
IMG_0147

IMG_0123

復興は進んでいると喧伝されています。
復興五輪も来年華々しく開催されます。
しかし、・・・
実際の被災地を目にすると胸が痛みます。
                (いしかわ)

南相馬市小高駅前動画

南相馬市小高駅前動画

南相馬市小高駅前動画


ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

 

「復興なみえ町十日市祭」に行ってきた。

「復興なみえ町十日市祭」に行ってきた。

「復興なみえ町十日市祭」
平成29年11月25日26日浪江町地域スポーツセンター
IMG_0030

 11月25日、26日に浪江町の地域スポーツセンター敷地内において「復興なみえ町十日市祭」が開催されました。地元の司法書士の吉田さん(今は郡山に事務所)は、「もともと地元の浪江神社の秋祭りで、毎年10月10日に開かれてきたので「十日市祭」と呼ばれている。市民のお祭りとして続いてきた。」と説明してくれました。
 祭りのパンフレットには次のように由来が書かれていました。
「十日市とは
十日市は明治6年に出羽権現(現在の浪江神社)の祭日として浪江町権現堂地区に「市」を立てたことが始まりになります。今で言う「町おこし」の走りです。十日市の名前は、旧暦10月10日を中日(なかび)として三日間行われたことに由来するもので、収穫を終えた人々が豊年を祝い、冬に向けて生活用品を揃えるための市として始まったものです。」
CIMG2444

 十日市は東日本大震災により中断の危機に瀕しましたが、  npo の皆さんを中心とする住民の皆さんの努力により、その年の11月には二本松市で再開され、以来6年間継続して開催されてきました。本年は帰宅困難地域を除く全域が避難指示解除になったのに伴い浪江町で復活開催がされました。
unnamed1

IMG_0028

CIMG2437

 会場の地域スポーツセンターには多くの人たちが訪れ想像以上の賑わいがありました。
何十もの縁日の屋台や地元の団体のテントが立ち並び、その間を人々が行き交っていました。浪江焼きそばの店の前では、十人二十人と行列が出来ていました。
IMG_0026

B-1グランプリ優勝の「浪江焼きそば」は地元商工会青年部の町おこしから始まりました。
CIMG2445

同時開催された「ふるさとの祭り2017 in 浪江」
 広場の舞台の上では地元の伝統芸能が演じられ、パイプ椅子に座った人たちが隣の人と話しながら楽しそうに見ているのが印象的でした。
IMG_0022

 福島県司法書士会も地域スポーツセンター駐車場の一角に相談ブースを設け、さまざまな相談にお答えしていました。群馬司法書士会の会員も相談員として参加しました。
CIMG2441

CIMG2439

 所々で、数人が輪になって立ち話をしている人達が目立つのは、まだ町民の多くが避難生活を送っていて、久しぶりに会ったからなのでしょうか。

 26日の福島民友は「7年ぶり浪江「十日市祭」復活を喜びにぎわい」との見出しで、「開催を聞き町外に避難する町民も駆けつけた。来場者は 再会を喜び、地元での十日市を満喫した」と報じていました。 
                (いしかわ&さくらい)

ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                             
ホーム 

福島・浪江町、避難指示一部解除

福島・浪江町、避難指示一部解除

 平成29年3月31日、
浪江町内全域に出されていた避難指示は、「帰還困難区域」を除いて解除されました。
 浪江町役場は、平成29年4月1日から再開され業務が行われています。町内では、工事中の家屋も散見されましたが、住民の方の帰還はほとんどされていない印象でした。
IMG_0033

CIMG2356

IMG_0032

 浪江町の海岸からは、東電第一原発の施設の一部が見えます。
第一原発の距離は、最も近いこの地域から約4km、浪江町役場までの距離は約8kmです。沿岸部にある空間線量計は値は、0.213マイクロシーベルトでした。 
IMG_0027

CIMG2326

浪江町は、津波によっても甚大な被害がでました。
「浪江町の現状と課題」(平成24年6月浪江町役場)によると、津波被害は、津波浸水面積が6k㎡、死者及び行方不明者が184名 (内、津波による死亡及び行方不明者 182名)、 流出した家屋は604戸とされています。
 役場から海岸に向かい車を走らせると、沿岸の近くに、大量の瓦礫が集積された集積場がありました。海岸べりでは、防潮堤の工事中で復興の足音が感じられる現場もありました。その一方、雑草の生い茂った周辺の被害地には今なお津波で破壊された建物が残されていました。
 津波により漁港は壊滅状態になり、漁業に対するダメージは甚大で震災前の状態に復旧するにはこれからまだ多くの時間が必要となるでしょう。この地域では原発事故被害だけではなく、津波という巨大な自然災害による被害も発生しているという事実を再認識させられる風景が目の前にありました。 
 CIMG2338

CIMG2325

IMG_0021

IMG_0025

  (さくらい&いしかわ)                
  

ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                                      
ホーム 

 

福島・富岡町、避難指示一部解除

福島・富岡町、避難指示一部解除

桜咲く
富岡町に行ってきました。
 4月1日、福島県富岡町では、帰還困難区域を除く居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除されました。富岡町民約9600人、約7割が対象となります。
IMG_0046

07

夜ノ森の桜並木
夜ノ森の桜並木は、浜通りを代表する桜の名所です。約1500本の並木が桜のトンネルを作っています。樹齢100年を超えるソメイヨシノもあるそうです。

 解除前には、ほとんど人影を見かけなかった通りにも、ちらほらと花見客が桜のトンネルを散策してしている姿が見られました。夜には桜がライトアップされるそうです。
CIMG2384

 帰還困難区域との境にはゲートが有り、立ち入ることは出来ません。ゲート脇には「富岡は負けん!」と書かれた看板がありました。
IMG_0048

 富岡町役場は、3月6日に移転先の郡山市から同町の庁舎に戻り、本格的に業務を再開しています。
 庁舎内では、職員が普段道理に業務を進めていましたが、訪れる住民の姿を見かけることはありませんでした。
 町内の家々の状態は解除前とほとんど変わっていませんした。帰還の動きもこれから徐々に進むのではないでしょうか。
IMG_0040

富岡町は、東京電力福島第一原子力発電所から、そう遠くない位置にあります。
国道6号線からは、発電所の施設が間近に見えます。
CIMG2364

CIMG2363


   (さくらい&いしかわ)                     

ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)
連絡メール genpatudan@yahoo.co.jp (相談に対するメールによる回答はできませんのでご了承ください。) 
                                                      
ホーム 

 

大熊町の除染と線量

大熊町に行ってきました

 
田村市都路地区から国道288号線を大熊町に向かいました。
都路1
 
都路2
田村市都路町古道の古道小学校の放射線量は、0.153。
都路中学の校門前の放射線量は、 0.15。
 
都路3
田村市 船引から都路へ向かう途中の仮置場。フレコンパックの集積された国道沿いの看板の線量表示は、平成27年6月11日時点で0.28。
 
大熊1
村市と大熊町境近くのトンネルを抜けると、持参した線量計の値が急に高くなります。
更に町の中心街に向かって進むと、汚染土等が収納された無数の黒いフレコンバックが出現します…その異様な光景に唖然、言葉も出ません。
 
大熊2

大熊3
除染中と書かれた旗のそば放射線量は2.83。
国道脇放射線量は0.55。
国道を少し入った草むらに直接置いた線量計の値は、計測器の限界を超えて計測不能。
 
大熊5
富岡町に入っても、荒れ果てた耕作地と、黒いフレコンパック群は続きます。 

大熊町内空間線量率測定結果
 原子力規制委員会とは別に、該当市町村でも独自の調査に基づく放射線量の測定結果を公表しています。
 大熊町HPによれば、放射線量の測定は平成27年3月24・25日の2日間、町内167カ所で行われ、地上1mの高さで3回測定し、測定結果はその平均値を表示したとしています。 

大熊町内空間線量率測定結果(平成27年3月24・25日測定)
http://www.town.okuma.fukushima.jp/201505/07-2735
(大熊町HP 大熊町復興サイト)

特別地域内除染実施計画に基づく帰還困難区域内の拠点除染を26年11月上旬から27年3月まで、大熊町内で行いました。
(大熊町HP 大熊町復興サイト)


             (いしかわ&さくらい)
(※このコメント記事は執筆者個人の見解であり、原発事故被害者支援司法書士団を代表するものではありません。) 

ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)

 

福島県田村郡三春町の滝桜。

福島県田村郡三春町の滝桜

滝桜1
 今年も、美しい桜が咲きました。
 三春滝桜は、国の天然記念物で樹齢推定1000年超のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の巨木です
滝桜の名は東西22m・南北18m四方の枝から薄紅色の桜が枝から流れ落ちる滝のように咲き乱れることから付けられました。
滝桜2
 滝桜は、よく整備された丘の途中に1本だけある巨木で、観賞用の道から鑑賞することができます。
 東日本大震災の際には、滝桜それ自体には大きな損傷は受けませんでしたが、毎年30万人が訪れるという花見客は原発事故の影響で大幅に減少しました。
 押し寄せる花見客の群れを目の当たりにすると、訪れる観光客の数は回復傾向にあるのが感じられます。
     (写真 やまだ)


ご相談ください!原発事故被害者支援司法書士団の「無 料 相 談」
フリーダイヤル0120-440-744
(受付時間:月~金(祝日を除く)10:00~16:00)

 

閑話休題(2)

前橋市で歴史的な積雪・73㎝
大雪2

前橋市では過去120年ほど続く観測の歴史の中で最大の積雪になった。14日(金)の朝から降り始めた雪は15日(土)の朝まで続き、みぞれから雨に変わった。24時間程で70㎝を越える積雪。雪の多い日本海側でも頻繁にある降雪ではないという。影響は週明けも続き、幹線道路は大渋滞、軽井沢に続く国道18号線では300台近くの車が動け大雪なくなり、自衛隊が出動する騒ぎになっている。(上写真 完全に道路をふさぐ雪。人力での除雪は不可能)



右写真 門柱に積もる強飯のような雪

閑話休題

16年ぶりの大雪。前橋市で積雪33㎝(2014年2月9日)
閑話
閑3














閑2

















 外は大雪、家の中は蘭満開。
アクセスカウンター

    原発賠償の無料相談







    原発事故被害者支援司法書士団


    ADR支援無料相談



    原発事故被害を受けられた皆様へ
    お悩みの方、ご相談ください。福島原発事故に基づく損害賠償請求等をサポートします。



    フリーダイヤル
    0120-440-744
    (受付時間:月曜日~金曜日
    (祝日を除く)10:00~16:00)






    • ライブドアブログ